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2012年3月11日 (日)

あれから、1年

もうすぐ58歳になります。私は宮城県塩竃市の出身です。幼い時チリ津波を経験、その後新潟地震、宮城県沖地震を経験。酒田に嫁いでからは、秋田沖地震そして、東日本大震災です。数々の地震を経験した。それにも、関わらず今回の地震も、物凄い揺れだったけど、大丈夫と確信していた。停電になったので、情報が入らない。携帯で塩竃に電話しても、もちろん、出ない。でも一斉に電話してるから、繋がらないんだ。でも、きっと大丈夫と!全ては過信!今まで、経験した大地震の時も津波よりも、倒壊のほうだった。まさか、大津波なんて頭になかった。夜11時過ぎ妹と一瞬携帯で話が出来た、仙台で地震にあい塩竃は津波で、立ち入り禁止 家に戻れず多賀城の親戚にいるとの事!家は完全に津波に襲われたと!もう頭の中は真っ白でした。絶対ありえない事が起きた!しかし、まだ停電な訳で、本当の情報が入って来ない。それが、現実になったのは翌日、ラジオから陸前高田市壊滅!壊滅って何?まだピンと来なかった。まだ、半信半疑でした。映像で見たのが二日後でした。もう何も考える事が出来なかった。あの一回の電話だけで、その後は、全く連絡がつかなかったので、心配が膨らんだ。もう、実家は津波にやられ、無くなってしまったかな~とか!電気が付いてからは、物凄い津波の情報!本当に大変な事が、起きた!皆自然をナメテいた!とにかく、一人でも助かる事を祈るしかなかった。涙が止まらなかった。自分の故郷が無くなったと!それからは、必死に塩竃の情報を集めた。何日かたって、メールが届き家の状態を知る事が出来た。実家は少し高くなっていた為、2m位の浸水だった!どの家と同じで、泥をかぶり1階は全滅でした。しかし、目の前の状況は壊滅でした。それから、1週間後食料、灯油らを持って塩竃へ、そして、あの光景を見た時は、ただ泣くしかなかった!もうメチャクチャで、悔しかった!しかし、妹達は、強かった!泣きもせず、弱音吐かなかった!なぜなら、一人も欠けず、家もある。家族が無くなり、家も無くなった人達から比べれば、恵まれている訳で!多くを語らなかった!とにかく、静かにもくもくと、仕事をこなしていった。自分達の事で大変だったと思う。他の地域は、もっと凄かったのだから!日本人は自分の事よりも、人の事を思いやる気持ち、助け合う心!本当に素晴らしいと思った。今まで、あまり意識した事がありませんでしたが、この震災でつくづく、家族の大切さを実感しました。人間は、一人で生きていく事は、出来ない!この一年やさしい気持ちだった。フレバーも辞め、これからどうして行くか、もう歳だし、ミッシェルなんか、終わってるし!気持ち下がりましたが、被災地の人達の事を考えたら、何やってんだって!またもう一度やり直しだ~ 弱音吐いてらんね!頑張ると思った。この震災で亡くなられた方の、ご冥福を祈ります。私は、被災地の物を食べたり、買ったりしか出来ませんが、小さい事から、やって行きます。是非被災地に行きお金を落としましょう。あの時を絶対忘れず、ひたすら前を向いて、進みましょう。

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